評論文は考えてはいけない
評論文を読むとき、
どういうふうに読んでいますか?
また、評論文の勉強は、
どのようにしていますか?
これは、
受験生がよく質問することであるし、
大人になっても文章を読むということが、
苦手という人も多いでしょう。
実際、私も、
評論文なんて、
勉強の仕方がわからず、
そのときの運で答えていました。
だから、少し難しい文章だと、
まったくちんぷんかんぷんになってしまったり、
時間がかかりすぎて、
小説、古文、漢文の時間が足りなくなってしまったり、、、
ですが、評論は、
きちんと評論を読む勉強をすると、
点数が取れるようになっているし、
逆に、
運などと思って、
勉強しないでいると、
点数が取れないように作られています。
4択だと、
自分だけ当たるような気がしますが、
宝くじと同じように、
ほぼ当たらないものです。
では、
評論はどういうふうに勉強すればいいのかというと、
①漢字の暗記、語彙の暗記
②評論の構成や表現の理解
基本的に、この2つです。
もちろん、
①の漢字や語彙はある程度ないと、
まず土俵にも立てていない状態です。
日々の勉強の蓄積で、
誰でも努力でカバーできます。
だから、①では、
受験生の間でほとんど差はありません。
差がつくのは、
②の評論の構成や表現の理解
の部分です。
②の評論の構成や表現の理解
これがわかっているかいないかで、
雲泥の差ができてしまうのです。
②の評論の構成や表現の理解は、
簡単にいうと、
「公式に当てはめて、
筆者の論を理解する」
ということです。
基本的に、
筆者は自分のメッセージを、
読者にわかってほしくて、
できるだけ納得できるように書いています。
言いたいことがあるから、
本を書くのですし、
読む人がいるから、
本を書いているのです。
1対1のコミュニケーションの場合、
相手に自分の考えや意見を、
わかってもらえるように、
意識してしゃべりますよね。
自分の言いたいことを、
相手にわかってもらうには、
なんでそういうふうに考えたのか、
その根拠は何んであるか、
などがなければ、
相手はわかってくれません。
例えば、
親に買ってほしいものがあるときに、
ただ買ってほしいんだと言うよりも、
買ってほしい理由や、
それを買うことでこういうメリットがあるんだ、
と言ったほうが買ってもらいやすくなります。
普段のコミュニケーションと同じで、
筆者も読者に言いたいことをわかってもらえるように、
意識して書いているのです。
そして、次が重要なのですが、
評論では多くの場合、
一般論とは違うことが書かれます。
世の中で当たり前とされている考えについて、
それは違うでしょう、
意見しているものがほとんどです。
それもそのはずで、
常識とされることを、
そのまま書いても誰も読みませんよね。
だから、
常識とは違うことや、
そもそもみんなの常識、
そのものの考え方が間違っている、
ということを書くのです。
例として、
受験では現役生よりも浪人生が
1年余分に勉強できるから有利だと言われるが、
合格者比率をみると、
浪人生が有利ということはなく、
結局どれだけがんばったか、
ということに尽きる
これは、本当のことで、
現役、浪人とか関係なくがんばる人が合格するのです。
このように評論では、
基本的に、ふつうとは逆をいくのです。
そういうことから、
評論は考えてはいけないし、
評論は読んではいけないのです。
あくまで、筆者の論について問われ、
自分の意見や一般論と反対をいくので、
自分で考えてしまうと、
常識的な選択肢に惑わされます。
消去法で2つにまで絞れても、
最後の1つで間違うのは、
最後の1つの選択肢が、
一般論を書いていて、もっともだと思ってしまうからです。
つまり、評論文は、
・いかに筆者のメッセージを見つけれるか
・常識、思い込み、先入観なし読めるか
これにつきます。
普段から社会の中で常識だと言われていること、
親や友達が言っている当たり前なことを、
疑ってかかる訓練をおすすめします。
~おまけ~
「なぜ大学にいくのか」、
ということも突き詰めて考えてみると面白いかもしれません。
友達に聞いてみるのもいいでしょう。
そのときに、
「親が行けって言ったから」
「友達が行くって言ってるから」
「行ったほうがいいから」
みたいなことが出るかもしれませんが、
それは「なぜ大学に行くのか」の
本質ではありません。
「なぜ大学に行くのか」
これがぶれないで、
信念をしっかり持った人は、
本当に成績が伸びます。
一度
「なぜ大学に行くのか」
を深く考えてみてください。