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勉強に才能は関係あるのか

 

自分には才能がないからと、

諦めてしまう人がいます。

 

 

たしかに、

仕事でも勉強でもスポーツでも、

類い稀な才能を持っているように思える人はいます。

 

 

実業家の堀江貴文さん、

物理学者のアインシュタイン

最多安打記録のイチロー選手、

 

 

彼らは私たちとは、

違うような人間であるような気さえします。

 

 

また何かにつけてよく考えもせず、

「才能」という言葉で片付けてしまうことがあります。

 

 

ですが、

そこまで才能による差というものはあるのでしょうか?

 

 

この問題に多くの人がよく悩んできて、

これから先も悩む人が多いだろうと思い、

また自分自身に言い聞かせるためでもあって、

興味深い問題提起だと考えます。

 

 

結論から言うと、

才能の差はあるが、

勉強において才能はそこまで重要ではないと考えます。

 

 

たとえば、

子どもと大人が腕相撲をすると、

勝つのは大概大人でしょう。

 

 

しかし、

将棋や囲碁などでは、

子どもが大人に勝つということは珍しいことではありません。

 

 

以上からわかるように、

才能の差で一番顕著なのは、

やはり、「体格の差」であると言えるでしょう。

 

 

バスケやバレーでは、

背が高いほうが有利です。

 

 

もちろん背が高いだけでは、

すごい選手とは言えないですが、

身長は有利な要因の1つでしょう。

 

 

ですが、

体格の差が顕著であるといっても、

2倍も3倍も変わるということはないです。

 

 

身長が3mの人を私は見たことがありません。

 

 

スポーツの世界で言われる体格差でさえ、

何倍も変わるということではないですから、

勉強ではそれこそほんの少しの差でしかないでしょう。

 

 

つまりは、

才能の差だからと言って諦めてしまうから、

そこに差が生じてしまうのです。

 

 

 

また、別の視点からも考えてみます。

 

 

700万年前、人類とチンパンジー類と分かれ、

初期人類、アウストラロピテクス属、

そして、現代まで続くホモ属へと進化しました。

 

 

人類は、名前のあるもので25種類くらい、

実際は100種くらい存在したと言われています。

 

 

私たちホモ・サピエンスは、

その中で生き残った最後の種なのです。

 

 

ホモ・サピエンスは、

優秀な種族であったから生き残れた、

という説や、

 

ネアンデルタール人のほうが、

脳が大きいので、

ホモ・サピエンスが生き残ったのは、

たまたま時代環境に適していたのだ、

という説など、

 

 

人類の進化においては、

まだわからないことが多いですが、

少なくともそこまで貧弱な種ではないと考えます。

 

 

貧弱であれば、

きっと現代まで生き残ることなく、

淘汰されて絶滅しているはずです。

 

 

私たちは、

現代まで生き残ってきた種の末裔ですから、

この時代により適した進化をしてきたのでしょう。

 

 

もちろん、

空を飛べないペンギンや、

足のない蛇のように、

ある器官が退化している種もあります。

 

 

ですが、

個別の器官だけみると退化に見えても、

全体としてはより進化しているのです。

 

 

ペンギンの祖先は飛ぶことができたのですが、

飛ぶ能力と引き換えに、

体をでかくして熱を蓄えやすくし、

より長く深く潜れるようになったのです。

 

 

また、

蛇の祖先は足があったのですが、

土の中で体をくねらせやすいように、

足が退化したと考えられています。

 

 

退化は進化とは対義ですが、

全体としてみると進化していると言えます。

 

 

生き残ってる種は、

環境によりよく適応できるようにしたのです。

 

 

このように考えると、

私たちも生き残っている種であり、

進化し続けてきたわけなので、

優秀であると言えます。

 

 

優秀であるからこそ、

淘汰されることなく生き残ってきたのです。

 

 

だから、

先天的な才能の差なんていうのはなく、

どれだけ努力したかによって差になるのです。

 

 

才能だからといって、

諦めるから差がつくのです。